成人した当日に調停を行った話ー2- [メモコピペ]

※殴り書き注意

ー高3~ー🌟 調停まで残り半年くらい

過干渉とネグレクト・くるっていると感じた親の言動

高校3年生になると同時に父親の父親である僕からすると祖父が亡くなり、受験の年に無くなってしまったことや父親のメンタル的なものも弱化寧供したのかもしれないが、

家族間でのストレスというかそういうものが強くなったのもあると思う。

のちに一応受験をするのだが、ここでも明らかに家族のネグレクトがひどいと感じていた。

特に1週間に波のようなものがあり、母親も仕事に通っていたため、その仕事がある人ない日で明らかに態度が違うというかわざと八つ当たりのようなことをしてきたり

逆に過干渉だと感じる最大限、嫌悪感の高まる嫌がらせのようなことを繰り返され、ストレスの限界となっていた。(これは今に始まったことではないがずっと酷かった。)

[ +追記文 : 親がそうするにも理由があったと思う。以前までの場面緘黙のストレスや家での家庭環境のストレスに対して、自分も反抗する気持ちがあり、親に対して迷惑をかけるような、家族に対する非行のような行動をしてしまったと思う。ただ僕がそのような行動をした一番の原因であり、心残りだったことが、高1の頃、両親に自殺未遂を嘲笑われたことだった。 ただ親にも高い通信制の学費などがあったと思うが、当時は余裕がなかった。 (この話は家族ではしたことが無かったが、今現在では解決しました。) ]

そして自分もどこまでも我慢していたが周りにあまり相談できる人もおらず完全耐え切れなくなり、189の児童相談所に電話を掛けた。

が親がうまいこと言いくるめ、ネグレクトを直すと電話上ではなして終わってしまったが実際は今までと口論で治らなかったのと同様で全く変わらなかった。

むしろ自走に電話したことなどが原因で悪化していった。

そして受験も終わりもう完全に親に対する恨みしかなくなったため、最後の気力を振り絞ってちょうど高3なので、18歳になったため調停に申し込めるため、

18歳の誕生日、成人になったその日に親族関係調整調停の申立書を提出したが、

結局受験のことと家族からの大事にするなという反対のせいであきらめることとなった。(家族は明らかにいかれた言動だったし、頭がくるっているとしかない言動でねじ込まれた感じ)

そして調停の申し立てを取り下げるための取り下げ書を、半ば自分も気の狂った状況で、提出しちょうていのことは終わってしまった。

一つ言えるのは家族の言動は本当にいかれているもので、

例えば、頭おかしい言動をしてきてちょっとおかしいんじゃないのと伝えると(母親に)そんなこと言っていいと思ってんの

というヒステリックのような状況になっていたり、完全にいかれている毒親としか思えない言動が増えていた。

part2 鬱・躁鬱患者の一日

一年半前から鬱と躁鬱を繰り返しながら生きている。

・とにかく眠い

僕の場合HSPの様に考えが止まらなくなり、一生眠気がしている

いわば疑似クレイネ・レビン症候群

(・通信制に通いだしたら終わる

生活リズムが壊れて)

「起床して、散らかったリビングをみて絶望」

8時間睡眠 → 朝ごはん → 2時間睡眠 →

昼ごはん → 作業をしようとするが寝すぎたことに絶望 → また眠くなる → 起きていたら別のことをする

■寝たら一日おしまい

・訳の分からない行動を始める

自分の部屋で夜に謎の動画を撮影

・行動力が湧いてくる [躁鬱]

急にやる気が出てきて

SNS上でめっちゃ発信しまくったり、何か(プログラミング)の勉強を始めるが、結局長続きしない

結局眠くなり鬱になる [鬱]

本当は普通の生活がしたかった

2024/03/15 03:22
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